3月11日

被災者の皆様には謹んでお見舞い申し上げます。


私もなかなか貴重な体験をしました。
家族も私もおかげさまで無事です。

そういう意味でこれから書くことは他人事のように楽しんでいる部分があり、不謹慎な表現と取られることもあるかもしれません、あらかじめお詫びしたいと思います。


11日(金曜)は、朝から川崎駅前の当社ビルへ出社。14時過ぎに南町田の事務所へ戻ろうとして、川崎駅の南武線電車に乗り、発車を待っているところで被災しました。


ヘッドホンステレオを聞いてたのもあり、とっくに発車したものと思い込んで「今日の電車はやたらに揺れるな」と最初思って周囲を見たら、まだ電車はホームにいて、ドアも開いていて状況を把握しました。


長かったですね。地震に気づいて、家の留守番している娘に電話して励まして電話を切ったあとも揺れが続いていました。


その後川崎駅を追い出されて、当社ビルへ戻りましたが、余震もあったため、外に一時間ほどいて、収まったのを見て8Fの事務所まで階段で上り。17時くらいまで待機して、大和方面の社員4人でタクシーを拾おうとして京急側のタクシー乗り場に行きましたが、すでに50人ほど並んでいて断念。女性一人はホテルに行かせ、残りの男3人は、そこで解散。


夕食を食べに行ったのが敗因で、夕食後、満喫や、ホテルを探したけどどこも満員で入れず。ここで徒歩での帰宅を決定。


19時くらいに歩き始めて一人で15号を南下。川崎−鶴見間は停電で信号も消えており、警官が交通整理にあたってました。また、市原の火災が見えました。


歩道は同様な人々が大勢歩いており、上り下りの人々で一杯でした。


休みなしで東神奈川手前で国道1号に出て三ツ沢公園経由で上星川まで徒歩。ここで数年前に痛めた左膝裏が痛くなって半分びっこモード。


相鉄の上星川駅を過ぎたところで22時半くらい。相鉄の踏切が鳴っており、見ていたら徐行する電車に満員に人が乗っているのが見えたので、西谷駅から乗車。大和駅着が23時くらい。


小田急はまだ復旧しておらず、大和駅のタクシー乗り場で24時少し前まで並んでたけど、大木市長が大きな声で、「これから小田急が動きます」と話ながら歩いているので小田急ホームへ。24時ちょっと過ぎに電車が出発し、南林間駅から24時半くらいに痛い足をひきずりながら帰宅しました。5時間半の旅。

身を持って帰宅難民を体験しました。
出張がなければ徒歩一時間で帰宅できたんですけどねぇ。


途中、携帯の電池が切れてしまい、コンビニで乾電池の充電セットを調達しようとしたけど、途中で寄った10数軒全部売り切れでした。かばんにいれておけばよかったなぁ。普段持ってるのに、こういう時だけ持っていないという。


歩いた距離は20kmなかったと思うのですが、ちょっと飛ばしすぎました。
昨日くらいにようやく痛みが減って普通に歩けるようになりました。